心の丸窓(69)新型コロナウイルスとヤマアラシのジレンマ

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。

人と人との心理的距離感についての表現にヤマアラシのジレンマという言葉があります。ショーペンハウアーというドイツの哲学者の寓話に由来するものです。「ある冬の寒い日、たくさんのヤマアラシたちが暖を求めて群がったが、互いのトゲによって刺されるので、離れざるを得なくなった。しかし再び寒さが彼らを駆り立てて、同じことが起きた。結局、何度も群れては離れを繰り返し、互いに多少の距離を保つのが最適であるのを発見した」というショーペンハウアーの話をもとに、精神分析の創始者であるフロイトや精神分析家のベラックが論じました。ヤマアラシのジレンマは名作アニメの新世紀エヴァンゲリオンでも取り上げられましたので、そこでこの概念を知った人も少なくないのではないでしょうか?

ヤマアラシが互いに近づこうとするが近づき過ぎると互いに傷つけ合ってしまうように、人と人も精神的に近づきたいが、近づき過ぎると互いに傷つけ合ってしまうという葛藤、ないしはそこから試行錯誤を経て適切な妥協点を見出す過程を表す用語です。友人との関係、恋人との関係など社会におけるいろいろな人間関係において言えることだと思います。親しいからこそ、踏み込んだことを言ったり、言われたりして相手を傷つけてしまったり、自分が傷ついてしまったり・・・。

このようにヤマアラシのジレンマは人と人との心理的距離をめぐる葛藤について述べていますが、この度の新型コロナウイルス感染の流行では人と人との物理的距離について、新たなヤマアラシのジレンマともいえる葛藤が人々の心に生じていると言えるのではないでしょうか?

本当は対面で会って人と話したいが、それでは新型コロナウイルスを移したり移されたりしてしまうかもしれないから、会わないで我慢する、あるいはビデオ会議システム、電話、メールなどで代用する。本当は真正面から向かい合って目と目を合わせて話したい。でも向かい合って話すのは感染リスクがあり、話すならば正面よりは斜めや横並びの位置で話す方が望まれる。本当はマスクをしないで自分の顔や表情を見せたいし、相手の顔や表情も見たい。でも感染予防の為にマスクをしないといけない。本当はもっと相手の近くにいたい。でも十分な物理的距離を取らないといけない。

新型コロナウイルスの流行により、今までは当たり前だった人と人との接し方やコミュニケーションのあり方が、突如リスクを伴う忌避されるものになりました。今まで通り人としっかり触れ合いたいが、それをすることで大切な人や自分自身に危険を及ぼしてしまうかもしれない。そんな状況下でどのようにして私達が安全と人間同士の交流を両立していくか。まさに私達はあらたなヤマアラシのジレンマに直面して、試行錯誤している最中であると言えるのではないでしょうか?

 

(月河 葵 記)