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心の丸窓(56)偶々<たまたま>について

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。


「たまたま○○にいった」「たまたま○○に会った」など、「たまたま」という言葉は日常的によく使われます。いっぽう私たち心の臨床家の世界に、「精神分析にたまたまはない」という言葉があります。これは一見偶然に見える出来事も、よくよく分析してみると実はいろいろな要因が影響し合った末の必然的成り行きなのだ、という物事の捉え方を表した言葉です。この成り行きにしばしば深い影響を与えるものに「無意識的動機」があります。

例えば「Aさんが学生時代によく行った喫茶店にたまたま立ち寄ったら、たまたま大学時代の同級生Bさんと会い、話をしていたらたまたま意気投合し連絡を取り合うようになった」という出来事があったとしましょう。Aさんがその喫茶店に立ち寄ったのはなんらかの事情でAさんの中で学生時代を懐かしく思い、その気分に浸りたい無意識的動機があったからかもしれません。もしBさんが同様の事情で最近その喫茶店に通い詰めていた、ということがあったとすれば、2人が遭遇するのは時間の問題だったといえるでしょう。そしてAさんとBさんの心境が同じであれば、意気投合したのも自然な成り行きといえるでしょう。このように一見偶然に見えることにも、しばしば隠れた意味や理由、「必然」があります。

一方日本人は「自然と物事が起こる」という考え方を好むと言われています。文化や価値観、思想と言語は密接な関係があり、日本的な考え方は日本語表現にも反映されています。たとえば日本語は、「する」より「なる」に親和性があると言われています。英語なら「今度彼女と結婚します」というところを、日本語では「今度彼女と結婚することになりました」ということが少なくありません。また日本語で「私は臆病なので、それをするのをためらった」というところを、英語では無生物が主語となる構文で「私の臆病はそれをするのをためらわせた」と表現することがあります。しかしこれは日本語にはなじまない表現です。

このように日本では「自然と物事が起こる(=なる)」という考え方が受け入れられやすく、「いろいろな心の中のものが事態を動かし合う(=する)結果として物事が成り立つ」というのはなじみにくい考え方かもしれません。しかし今まで偶然だと思っていたものが、実はさまざまな想いや要素の積み重ねの結果だと考えると、人生がひと味違う奥行きをもったものになりそうな気がしませんか?

 

(月河葵 記)

丸窓 偶然の再会 (1).jpeg

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