心の丸窓(72)
心の痛みとは

☞「心の丸窓」は心の杜の医師・心理師による心の診療に関するコラムです。

いつも同じことをクヨクヨ考えてしまう。
将来のことがたまらなく不安になる。
過去にされたことがいまだに許せない。
自分の能力の無さが周囲に知られることが怖い。

望まない考えや感情が続いてしまい、苦しんだり、疲れ果ててしまうことは誰にでもあるでしょう。苦悩ははるか昔から人類に共通する体験です。
苦悩を感じたくないのは自然な気持ちです。しかし目をつぶって耳を塞ぎ、心を閉ざして消え去ってくれることを願っても、それは頑固にまとわりついてきます。
なぜ苦悩が生じ、なぜ消え去ってくれないのでしょうか?

それは、私たち人類が言葉を持っていることと深く関係していると考えられています。
言葉は、人間だけが手に入れた素晴らしい力です。言葉があるからこそ私たちはこれから先のことを思い描いたり、仲間とコミュニケーションを楽しんだりすることができます。小説を読んでワクワクしたり、泣けたりするのは、言葉に「今、ここ」に存在しないものを思い描き、リアルに感じさせる力があるからです。しかし、言葉のこの性質のため、ネガティブな言葉や考えもリアルに感じてしまい、囚われが作り出されるのです。

「今、ここ」の体験によって生じる不快感は「苦痛」です。
一方、「今、ここ」では自分を苦しめることが生じていないのに、頭の中で考え続けることで作り出される不快感が「苦悩」です。

動物は、自分より大きな動物に追いかけられるなど、「今、ここ」の体験に対して恐怖や怒り、疲労などの「苦痛」を感じますが、その体験が過ぎ去れば「苦痛」も消えます。言葉がないので、「この先どのように生きていけばよいのだろう」、「いつも獲物を取り逃してしまう自分はダメだ」などと考え続けて「苦悩」に囚われることはありません。
人間も、上司にひどいことを言われたり、試験に落ちたりなど、「今、ここ」の体験に対して悲しみや怒り、無力感などの「苦痛」を感じます。しかし、「今、ここ」のいやな体験が過ぎ去っても、言葉を持つがゆえに「上司が怖い」とか、「いつも失敗してしまう自分はダメだ」などと頭の中で考え続け、そこに「苦悩」が生じるのです。

私たちは「苦痛」を感じないように、それを遠ざける行動をします。「自分はダメだ」との考えを遠ざけるために、本当は着手しないといけない課題を先延ばしにしたり、たくさん食べて紛らわしたりすることがあるかもしれません。でも、それによって「やっぱり自分はダメだ」という考えがさらに強まり、結果的に「苦悩」が広まるという悪循環が生じます。

よりよく生きていくことは私たちの共通の願いです。「苦痛」は生きている限り避けられません。でも、「苦痛」がありながらも、よりよく生きていく選択をすることはできます。認知行動療法のひとつであるアクセプタンス&コミットメント・セラピーは、ご自身の「苦痛」と「苦悩」の理解を深め、「苦痛」がありながらも、ご自身にとってよりよい人生を選ぶことができるよう、セラピストとともに取り組む心の営みです。

(文)

心の丸窓(72)