お知らせ|新宿 心療内科 精神科 心の杜・新宿クリニック
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心の丸窓(58)「私の病気、治りますか?」

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。


「私の病気、治りますか?」診療の場面で、患者さんからこう尋ねられることは少なくありません。辛い病を抱えた患者さんにとって切実なこの問いはしかし、「はい」「いいえ」と簡単には答えられない複雑な要素を含んでいます。今回はその問いを、うつ病を例に一緒に考えてみたいと思います。

うつ病を患うと、辛いさまざまな症状が現れます。眠れない、食欲がない、身体がだるい、憂うつで何の希望も感じられない、仕事や勉強だけでなく日々のちょっとした作業や趣味さえも億劫でやる気がしない、何をしても楽しくないなどそれは多岐にわたり、心と身体の双方にまたがります。これらの症状が解消することを「治る」ことだとすると、適切な負担の軽減や休養と薬の治療により、多くのうつ病の患者さんは「治る」と言って良いでしょう。但しそれは、服薬した状態での症状からの解放という意味においてです。専門用語ではその状態を「治癒(ちゆ)」ではなく「寛解(かんかい)」と呼びます。うつ病を例にとると、標準的な治療では薬物療法を半年程度継続しながらこの寛解状態を維持します。そこから病状の再燃(治療の途中に病状が再び悪化すること)に気をつけながらゆっくりと薬を減らし、最終的に薬のいらない状態に達した後、一定期間再燃がないことが確かめられてようやく「治癒」したことになり、治療を終えます。この状態を「治った」と捉えると、うつ病を患ったかなりの割合の方は「治り」ます。しかし一部の方は減薬の途中で再燃することもあるので、治療を始める時点で「治ります」とも言い切れないのです<☞心の丸窓(7)うつ病と薬>。さて服薬を終了して一定期間再燃しなかった方は完全に治った(「完治(かんち)」)と言って良いでしょうか。残念ながらそう言い切ることもまた難しいところがあります。なぜならうつ病を患ったのは、その方がある種の体質や性格傾向を持っていたからという要素もあり、その場合は状況次第でうつ病が再発する(治療が終了した後に、再び同じ病にみまわれる)ことがあるからです。体質は生来的な要因によるので、今日の医学では変えることは困難です。但し性格傾向については、精神療法に取り組むことを通じてある程度変えられる可能性はあります<☞心の丸窓(41)治ることをめぐって>。

こうして考えてくると、完治することを「治る」と呼ぶなら、うつ病が治る割合はそれほど高いものではありません。そう言われると悲観的な思いを抱かれるかもしれません。しかし私たちが生涯に罹患する可能性のある病の大半は、完治はおろか治癒することすら容易ではないのです。風邪などの感染症の多くは完治することを望めるでしょう。一方高血圧症や糖尿病など多くの成人病は、良好なコントロールを維持するために生涯服薬を続ける必要があるのです。つまり寛解はするけれど治癒はしないと言えます。しかしだからといってそれらの病気を「不治の病だ」という方はあまりいないでしょう。服薬や生活習慣を健全に保つことで、生涯健康な生活を送ることができるのですから、「不治」という呼び方は相応しくありません。その意味で、多くの場合寛解を期待することができ、治癒することも少なくないうつ病が「治る」ことに、私たちは十分に希望を持って診療にあたっています。不本意ながらうつ病を患った方、うつ病かもしれないと不安を抱かれる方、絶望することなく、あるいは躊躇うことなく、私たちと一緒に「治して」いきませんか。

 

(カラマツ林の梟 記)

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夏期休診のお知らせ

8月12日(日)〜8月16日(木):夏期休診のお知らせ 

2018年8月12日から8月16日まで当院は夏期休診いたします。

クリニックをご利用の皆様にはたいへんご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくご理解のほどお願い申し上げます。

心の丸窓(57)言葉を使う

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。


第二次世界大戦中の英国の首相チャーチルを主人公にした映画を観ました。この作品は、日本人の特殊メイクアーティストがアカデミー賞を受賞したことで有名になりました。そちらも見事でしたが、私が目をひかれたのは、演説の原稿に対するチャーチルの取り組み方でした。毎度口述タイプを何度も直し、ラジオ放送で国民に語りかける場面では、生放送開始ぎりぎりまで悩んで言葉を練り続けていました。このあたりは史実に忠実な描写のようです。数々の難局を乗り切る時に彼は、このような演説の言葉を強い味方につけていたといわれています。

精神科の診療はもちろん演説ではありませんが、言葉はとても大きな意味を持ちます。まずは、患者さんの語りに医師は耳を傾けながら、ところどころで質問や、確認をしながら進みます。そして、医師は見立てや方針、具体的な治療方法などをお伝えすることになります。それらをどのような表現で患者さんに伝えるか、そこが医師の思案のしどころでもあります。安心を伝えることもあるし、厳しいことを伝えなければならないこともあります。患者さんに届く言葉、患者さんが受け取りやすい言葉はなんだろうと、模索することも医師の仕事の重要な要素だといえます。

そしてそのような営みは、演説とは異なって相互的なものです。患者さんから質問や考えを投げかけていただくことが欠かせません。病気や困難は形にしにくい面もあるのですが、患者さんとともに言葉を使ってしっかりと理解し、それを共有してゆきたいと私たちは思っています。

 

(風蘭 記)

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臨時休診のお知らせ


2018年3月30日(金)午前ならびに3月31日(土)午後は医師の出張のため臨時休診とさせていただきます。 

クリニックをご利用の皆様にはたいへんご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくご理解のほどお願い申し上げます。


心の丸窓(56)偶々<たまたま>について

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。


「たまたま○○にいった」「たまたま○○に会った」など、「たまたま」という言葉は日常的によく使われます。いっぽう私たち心の臨床家の世界に、「精神分析にたまたまはない」という言葉があります。これは一見偶然に見える出来事も、よくよく分析してみると実はいろいろな要因が影響し合った末の必然的成り行きなのだ、という物事の捉え方を表した言葉です。この成り行きにしばしば深い影響を与えるものに「無意識的動機」があります。

例えば「Aさんが学生時代によく行った喫茶店にたまたま立ち寄ったら、たまたま大学時代の同級生Bさんと会い、話をしていたらたまたま意気投合し連絡を取り合うようになった」という出来事があったとしましょう。Aさんがその喫茶店に立ち寄ったのはなんらかの事情でAさんの中で学生時代を懐かしく思い、その気分に浸りたい無意識的動機があったからかもしれません。もしBさんが同様の事情で最近その喫茶店に通い詰めていた、ということがあったとすれば、2人が遭遇するのは時間の問題だったといえるでしょう。そしてAさんとBさんの心境が同じであれば、意気投合したのも自然な成り行きといえるでしょう。このように一見偶然に見えることにも、しばしば隠れた意味や理由、「必然」があります。

一方日本人は「自然と物事が起こる」という考え方を好むと言われています。文化や価値観、思想と言語は密接な関係があり、日本的な考え方は日本語表現にも反映されています。たとえば日本語は、「する」より「なる」に親和性があると言われています。英語なら「今度彼女と結婚します」というところを、日本語では「今度彼女と結婚することになりました」ということが少なくありません。また日本語で「私は臆病なので、それをするのをためらった」というところを、英語では無生物が主語となる構文で「私の臆病はそれをするのをためらわせた」と表現することがあります。しかしこれは日本語にはなじまない表現です。

このように日本では「自然と物事が起こる(=なる)」という考え方が受け入れられやすく、「いろいろな心の中のものが事態を動かし合う(=する)結果として物事が成り立つ」というのはなじみにくい考え方かもしれません。しかし今まで偶然だと思っていたものが、実はさまざまな想いや要素の積み重ねの結果だと考えると、人生がひと味違う奥行きをもったものになりそうな気がしませんか?

 

(月河葵 記)

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心の丸窓(55)私は花粉症じゃない?

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。

 

2月頃から春までは花粉症の季節です。アレルギー反応によって引き起こされる花粉症はスギなどのありふれた植物が原因なので、日本に住んでいればいつ発症してもおかしくありません。ですが、症状が出ても「私は花粉症じゃない」と認めたがらない人もいるようです。「風邪が長引いているだけだ」とクシャミをしながら言い張る人がいるというのも笑い話のようですが、何だか不思議ですね。

しかし、今年初めて発症する人を想定してみましょう。それまで何の症状もなかったのに冬が終わりに近づくと、鼻水、クシャミ、眼の痒みなど体調が大きく変化してきます。これは季節性の花粉に対する体のアレルギー反応だ、とすぐには気づかないでしょう。経験に照らして「風邪かな」と考え、栄養を摂ったり、休養したり、感冒薬を飲んだり、様子を見ようとするかも知れません。未知の経験に自分の従来の知識を当てはめて対応するのです。しかし、花粉症は改善せず、春になるほど飛散する花粉の量も増えて症状は悪化します。この辺で「これは花粉症かな」と気づき、医療機関を受診する人が多いでしょう。が、中には「いや、私は違う」と言い続ける人もいるでしょう。そこには「数ヶ月前まで健康だった」という過去の自分へのこだわりがあるかも知れません。ほとんど目に見えない花粉に対する体の反応がこんなにつらいアレルギー症状になる、という仕組みがつかみにくいせいもありそうです。

病気の因果関係は、古くなった刺身を食べてお腹をこわす、といったわかりやすいものばかりではなく、多くの病気では単純ではありません。今ある症状の原因を自分なりに理解するためには、知識と経験を基に説明を考え出すことになります。ですが、わからないものを説明する時、どうしても自分の思いが入り込む余地が生まれるものです。すると、「私はいつだって健康だ」「私は花粉症などという病気ではない」といった自己イメージや願望から、花粉症という事実は認識しにくくなります。そして、こうした心の動きは意識しないところで起こるので、現実に気づけないまま、症状が続くことになりかねません。

花粉症のトピックから、何だか恐ろしい話になってしまいました。しかし、仕事上の問題でも、家族関係や人間関係の問題でも、何か自分にはわからない事態が生じると、やはり、花粉症の例と同じように、気づかないうちに自己イメージや願望に添って理解して、現実が認識できなくなることはよくあるようです。そうすると問題に適切な対処もできなくなるので、苦しい状況に陥り、精神的な不調に繋がる方もいます。その場合は、精神科・心療内科で相談されることが、問題を見つめ直す手助けになります。

 

(鰯 記)

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心の丸窓(54)耐えられるストレスの限界を受け入れること

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。
  

 毎日私達は、何人もの仕事関係のストレスに苦しむ患者さんにお会いしています。彼らは抑うつ、不安、強迫、頭痛・腹痛・不眠あるいは吐き気といった心身症症状など、さまざまな症状を呈しています。もちろん皆さんそれぞれ、そのストレスを避けられない理由をお持ちですが、私達はときどき、患者さんに共通する考え方のパターンのようなものを見かけることがあります。

多く見られるパターンの一つが期待、要求水準の高さです。私がここで意味しているのは会社や上司からの要求や期待だけではなく、患者さんの自らに対する期待の高さのことです。例えば「私よりもっと夜遅くまで、ハードに働いている人がいっぱいいるに違いない。だから私は文句を言えない。逃げてはいけない」などと考えたりします。このような患者さんは、キャパシティオーバーだと症状が警報を鳴らしているのにも関わらず、休むことも、仕事の負荷を減らすために助けを求めることも、ときには治療に来ることさえも、状態がとても悪くなるまで躊躇します。

そういう患者さんが自分に対する期待値を下げるのがこれほど難しいのはなぜなのでしょう。その理由の一つは、負荷がキャパシティを超えているととらえることが、彼らにとっては自分の能力の限界として感じられるからではないかと私は考えています。自分の望んだように、あるいは期待したように、自分ができない、働けないということを受け入れるのは傷つくことです。そういう人たちは、助けを求めることや現在のタスクをあきらめることは「負け」、と考える傾向があります。彼らは負けることは「簡単だ」と考えたり、ときにはそう言ったりもしますが、実際は自分に限界があるということを認めるのはより難しいことなのです。

しかし患者さんが自分の限界を否認し続けている限り、その症状が改善することはないでしょう。なぜなら症状はキャパシティ超えのサインであり、つぶれてしまいそうだという警告だからです。彼らが限界を受け入れる痛みを克服することができれば、私達は困難な状況に対処するより現実的な方法を考えはじめることができます。

ときどき私は患者さんから「『負け』たら私は何を得られるのか?」と聞かれることがあります。とても難しい質問ですが私は、「自分自身と世界に対するよりバランスのとれた、より現実的な見方のできるパーソナリティに成長できる可能性」ではないかと思っています。

(具眼 記)

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心の丸窓/Round window of the mind(53)Accepting the limitation of the tolerance to the stress

☞心の丸窓は、心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。

Round window of the mind is the column about mental therapy written by doctors of Kokoronomori Shinjuku Clinic.

Every day we see many patients suffering from work related stresses. They present various symptoms such as depression,anxiety, obsessions, psychosomatic symptoms, such as headache, stomachache, insomnia,nausea, etc. Of course, in the most of the cases, they have their own reasons that they cannot avoid those stresses. But sometimes, we may find a kind of patterns in their way of thinking.

One of the common patterns is high expectation. With this, I mean not only the high expectations or requirements for the patients from their bosses or their companies, but also, the patients' high expectations for themselves. For example, a patient may think, "There should be many more people who are working even harder than I, until later in the night. Therefore, I can't complain it. I should not run away." Thus he/she hesitates to take a rest, to seek for help to reduce their work load, or sometimes, even to seek for a treatment until their states get very bad, while his/her symptoms are ringing the alarm bells that the load is over the capacity.

Why is it so difficult for such patients to reduce their self-expectations? One of the reasons, I suppose, might be that accepting this idea that the load is over the capacity is felt by them as the limitations of their ability. It is hurtful for them to accept that they cannot do as they wished. They tend to think that seeking for help or giving up the current tasks means that they become "losers". Although, they think, and sometimes say, that losing or giving up is "easy", it is actually more difficult for them to accept that they have limitations.

However, they would not improve their symptoms as far as they deny their limitations, because the symptoms are the signs of the over capacity, and the alert for the collapse. Once they overcome the pain of accepting the limitations, we may be able to think of more realistic way to cope with the difficult situations.

Sometimes, I am asked by patients, "What will I get when I "lose"? I suppose the answer of this question would be that they develop and grow their personalities to have more balanced and realistic view of themselves and the world.

(Gugan)

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臨時休診のお知らせ

11月4日(土):臨時休診のお知らせ 

2017年11月4日は医師の出張のため臨時休診とさせていただきます。 

クリニックをご利用の皆様にはたいへんご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくご理解のほどお願い申し上げます。


心の丸窓(52)夢見る力

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。
  

数年前私は、とても魅力的な名前の焼酎と出会いました。その名は、「夢見る力」。薫り高く、とても豊かな味わいでした。ところで皆さんは「夢見る力」から、どんな「力」を思い浮かべますか?私の心に浮かんだのは、将来への希望に満ちた展望をもてる力ということではなく、やはり寝ているときに夢を見る能力のことでした。

フロイトは、「夢は無意識への王道である」(夢は、無意識を理解する上での重要な手掛かりになるという意味)と述べました。その夢は、私たちの心の象徴作用によって初めて見ることが可能になります。象徴作用とは、心の中のある思いを、代理のもの(象徴)に置き換え、端的な形で表現する心の作用のことです。例えば、私たちが「ハトは平和の象徴(シンボル)」と言うとき、「平和」という複雑な概念あるいは状態を、「ハト」という穏やかな小動物になぞらえて表現しているわけですが、このある物事(平和)を適切な対象(ハト)に置き換えて表現するのが心の象徴作用です。フロイトは、その作用を通じて、無意識の心が抱いていることを夢という形に象徴化して表現していると捉えたのです。この作用は、心の丸窓(37)でも述べられたように、母親と赤ん坊の健全な相互交流の積み重ねの末に獲得されます。もしそれが十分になされない場合には、十分に象徴的な意味ある夢を見ることができなくなります。

精神療法の初回面接で患者さんが、以下のような夢を報告したとしましょう。「私は車の教習所で初めて路上に出た。とても緊張したが、隣に乗っている教官はベテランのようで、頼りになる感じだった。」そんな時私が治療者ならば、その夢を、初めて面接に臨む不安や緊張、そして治療者が頼りになる存在であってほしいという願いといった患者さんの無意識を意味するものとして理解し、そのことをお伝えするでしょう。こうした交流は、互いの象徴作用に基づくものであり、精神分析的精神療法はそうした営みの積み重ねによって豊かな実りをもたらすのです。

(MUSASHI 記)

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心の丸窓(51)「自律神経失調症」ってどんな病気?

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。

 

うつ病などの心の病で受診された方から、ときに「私は自律神経失調症ではないのでしょうか?」と尋ねられることがあります。一般の方には比較的馴染みのあるこの病名はしかし、今日精神医療の現場で使われることはほとんどないので、さてどうご説明したものかとしばし思案することになります。今回はこの病名についてお話ししましょう。

そもそも自律神経とはどんな神経なのでしょう。私たちの身体には、生命を維持し、活動を行うのに最適な身体の内部環境を調整するためのさまざまなシステムが備わっています。内分泌(ホルモン)系や免疫系と並んで重要な働きをしているのが、脳の視床下部という所を中枢とする自律神経システムです。この神経系は意志とは無関係に、その時点での活動状況に適した内部環境を自律的に調整しています。

自律神経システムには交感神経系と副交感神経系という2つのサブシステムがあり、循環器(血圧や脈拍)や呼吸器(気道の拡張や収縮)、消化器(胃腸の動きや消化液の分泌)などさまざまな臓器を双方が拮抗しながら、ときには協働しながら調整をしているのです。このような自律神経システムに体質的な脆弱性を抱えている場合があります。そのために調整の不調をきたしやすい方には、起立性低血圧(立ちくらみ)や発汗異常、便通・排尿の異常や体温や呼吸調整の異常などさまざまな身体の不具合が生じます。これを本態性自律神経失調症と呼びます。ところが自律神経系の中枢である視床下部は、記憶や情動、意欲に密接な関わりのある大脳辺縁系というさらに上位の中枢からの強い影響を受けているので、自律神経システムに体質的な問題がなくても、情動や意欲、ある記憶に結びついた感情や気分の不調に伴って自律神経系の不具合が生じることがあります。つまりうつ病やさまざまな神経症に伴って、上で述べたような多様な身体不調が生じることがあり、臨床上はそのようなケースの方がはるかに多いのです。

個々の方に生じた病態を身体的な観点から捉えて「自律神経失調症」と呼ぶのが良いのか、それとも精神的な観点から捉えて「うつ病」や「神経症」と呼ぶのが良いのか。治療を前提に考えるならば、うつ病と神経症とでは対応が随分と異なりますし、身体のレベルでどういうことが起こっているかということより、その不調の本質に迫る呼び方をする方が私は良いと考えています。

しかし少なくとも日本では、自らの不調を心の病より身体の不具合と捉えることを好む傾向があるようで、身体的検査所見を伴わずに生じるさまざまな体調不良の訴え(不定愁訴)があると、その根本にある心の病を丁寧に見立てることなく、「自律神経失調症」という便利な病名をつけて済ませてしまうことがときにあるようです。私たちは、より適切な治療を行うためにも、自律神経の不調の背後にある病の本質を、患者さんご自身と一緒に考え理解したいと思っています。

 

(カラマツ林の梟 記)

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心の丸窓(50)創造と万能感

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。
  

旧約聖書のバベルの塔のエピソードは次のようなものです。〜人々が、天にも届く高い塔を造って名声を上げてまとまって暮らそうと思い立ち、建設を進めた。神はそれを知り、人々がいくつもの異なる言葉を話すようにさせたために、混乱によって塔の建設は中断とならざるをえず、人々は散り散りになっていった。〜人間の傲慢を神が罰し、牽制したという解釈が定説といえるでしょう。

いま、日本で展示されているブリューゲルの「バベルの塔」を見てきました。細密に描かれた人々の建設の営みは勤勉で悦びに満ちて見え、あまり傲慢には感じられません。能動的に何かを造り出すことには、本来健全な満足や自己肯定感が備わっているものです。同時にそこには、どこまでもやってみたいという欲望もあるでしょう。その果てには何でもできると万能感を抱いてしまいかねない危うさも人間にはあります。

精神分析的な姿勢は、人は心の中では自由でありつつも、現実とふれあうところに生じる限界を受け入れることを旨とします。人が健全な自己肯定感を失わず、かつ自己愛が肥大しすぎないという幅の中を揺れ動き、限界の苦渋も味わうことが心の深みを増すといえるでしょう。これは人類の課題でもあり、ひとりの人間の一生の課題でもあるように思えます。

(風蘭 記)

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心の丸窓(49)精神分析と証明可能性について

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。
  

昨今、科学は進歩し、またエビデンス全盛の時代で多くのことが目に見えるかたちで証明され、分かるようになってきたことは誰もが実感できることでしょう。

その中で「精神分析はどこか曖昧でよくわからない、うさんくさい」という印象を持たれる方もいるかもしれません。

フロイトが提唱した無意識の概念は理論や根拠のあるものです。しかし、無意識の存在が精神分析をうさんくさいと感じられる方を納得させられるレベルで科学的に証明されているかというと、現段階ではまだそこには至っていないようです。

しかし、「なかなか証明できないもの=正しくないもの」なのでしょうか?

論理学にゲーデルの不完全性定理というものがあります。その定理が示していることは、おおまかに言って、「正しくても証明できない命題がある」ということです。ゲーデルが研究した論理学に限らず、人間の理性には限界があり、正しいことをすべて証明できるわけではないと考えてみることもできるでしょう。

無意識の存在が証明不可能なものかはわかりません。これから証明されるかもしれません。一つ言えることは、すでに証明されていることや明確にわかっていることだけが真実ではないようだということです。

そして、まだ明確に証明はされていない無意識を利用した治療である精神分析で多くの方の症状が良くなったり、人生が豊かになったりしていることも事実なのです。

(月河葵 記)

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心の丸窓(48)花粉症の季節

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。
  

花粉症の季節です。くしゃみや鼻水、眼や喉の痒みに苦しんでいる方も多いでしょう。このような症状は花粉が直接引き起こすというよりも、人体にとって異物である花粉に対して免疫系が起こす反応だという事実はよく知られています。免疫系は独自の細胞が働いて自己防御機能を発揮しますが、考えてみると、自己を守る免疫系のために症状が出て苦しい思いをするというのもおかしな話です。でも、免疫系の働き過ぎによって引き起こされる病気というのは、決して珍しくはないようです。

ここで視点をメンタル面に移してみます。人は皆、自分に合ったやり方で周囲の環境に馴染む努力をしています。何でも一人でこなす人がいるかと思えば、逆に、困ったら周囲に頼る人も居ます。自分の意見を出すより和を重んじる人もいれば、人とは一定の距離を置いて安定を保つ人もいます。それぞれの性格とも言えるし、環境のストレスに対する心の自己防御機能とも適応戦略とも言えます。それで大体は元気に生活できますが、環境が変化してストレスが強まると問題が生じることがあります。とてもこなし切れない仕事量を一人で抱え込んだり、逆に頼れる人が居ない状況でも自分で動けなかったり、周囲に合わせ続けて板挟みになったり、頑なに周囲から心を閉ざしてしまったりと、適応戦略が裏目に出てしまうこともあるのです。また、やたらと周囲とぶつかったり、目前の問題から目を逸らすなど、普段使わない不適切な戦略で対処してしまうこともあります。いずれにしても、自己防御の戦略が、不適応な方向に導く結果となります。これらを振り返って軌道修正ができればよいのですが、環境ストレスが強まっている状況ではそれも難しく、やがてメンタルな不調に繋がることもあるでしょう。それはうつや心身症、神経症をはじめ現れ方は人それぞれですが、心の防御メカニズムを不適切に働かせ過ぎた結果の不調という点では共通していると言えます。ですから、治療では症状への対処とともに、再発予防と今後の生活を生き易くするに、心の防御機能について振り返る必要も出て来ます。そのプロセスも適切なあり方がさまざまなのは心の治療の独特なところでしょうか。

免疫という自己防御機能が過剰となる花粉症真っ盛りのこの季節は、職場や学校などでの変化が多く、心の自己防御機能がバランスを崩しやすい季節でもあります。不調を感じたら、早めにご相談なさってください。

( 鰯 記 )


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心の丸窓(47)心の傷と成長

☞「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。

 心に傷を負うことは痛みを伴うため、私たちは通常できるだけ避けようとします。しかし、私たちの心は傷を糧に成長するということもまたひとつの事実ではないでしょうか。今回私は、心の傷とパーソナリティの成長との関係を考えてみたいと思います。

 もちろん私は、親が子供の成長を促すために子供の心を傷つけるべきだ、というようなことを言っているのではありません。もし親が自分の子供を故意に傷つけようとするのであれば、それは虐待とみなされるかもしれません。しかしときに親は、子供の無垢であっても おそらく大きすぎる要求や期待に応えることに失敗します。それどころか、親は子供の要求よりも自分のそれを優先する事があるかもしれません。なんという裏切りでしょう!こうした親の失敗は子供の心を深刻に傷つけることがあります。そしてその傷は子供のパーソナリティに「トラウマ」という深刻なダメージを残すかもしれません。子供はいらだち、怒り、落胆し、あるいは絶望するなどさまざまに反応するでしょう。しかしそのような体験は、子供にとって困難で残酷なこの世界の現実に直面する機会でもあるのです。つまり、両親は完璧な人ではなく、普通のありふれた人間で、子供の要求を満たすのに失敗する事もあるという現実です。親の能力にも限界がある、というわけです。

 子供がこういった状況に対処する方法は大きく分けて二通りあります。受け入れることと回避することです。回避は否認すること(意識的、無意識的に認めないで否定すること)を含みます。例えば子供は、親の失敗という現実を見ずに、親が自分を嫌っているからわざと攻撃したのだ、と考えるかも知れません。つまり子供の目から見れば虐待だ、と受け取るのです。あるいは、それは親の失敗ではなくて自分が悪いからだ、と考えるかも知れません。「僕がよい子じゃなかったからママは落ち込んで、僕の世話をすることができなかったんだ。」というように。この種の捉えかたによって、子供は両親像を理想化されたままにしておくことはできるかも知れませんが、現実を見て受け入れることからは遠ざかってしまいます。一方、もしも子供が現実を受け入れることができれば、痛みを伴いながら、そして傷跡を残しながらも、傷口を癒しそれを乗り越えることができるかも知れません。そしてその時初めて子供は成長し発達することができるのです。それは世界の現実をもっと良く見ることができるようになるということを意味しているのです。

 この一連の過程では、子供の傷を癒すための支える環境の役割も重要になります。これは例えば、親が自らの失敗を、たとえ避けえないことであったとしても、真摯に謝罪することであるかも知れません。あるいは子供の復讐に耐えることかも知れません。別のいい方をすれば、親もまた痛みを経験するのです。

 このようにパーソナリティの成長は、真に心が傷ついた経験とその克服を経て達成されるのです。

(具眼 記)


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