心の丸窓(73)
コロナ禍と眠り

☞「心の丸窓」は心の杜の医師・心理師による心の診療に関するコラムです。

コロナ禍の続く中、睡眠の不調を訴えられる方が増えているようです。コロナ禍は私たちの眠りに、いったいどんな影響をもたらしているのでしょう。

この問いについて考える前に、睡眠のメカニズムについて簡単に振り返っておきましょう。私たちの睡眠覚醒のリズムは、さまざまな要因の影響を受けますが、主に次の二つの要素によって調整されています。一つは「睡眠欲求」、そしてもう一つは「覚醒力」と呼ばれるものです。私たちの肉体と脳は、働くこと、学ぶこと、あるいは遊ぶことなどさまざまな活動の結果、次第に疲労を蓄え、休みたい、眠りたいという欲求、すなわち睡眠欲求を募らせていきます。睡眠欲求は覚醒している時間と活動量に比例して強まります。しかしだからと言って、私たちは起床後一日の終わりに向けて、どんどん眠気を増していくわけではありません。それは私たちの中にもう一つの拮抗する力「覚醒力」が作用しているからです。これによって私たちは眠りにつく直前まで、覚醒を保ち、質の良い活動を維持ことができるのです(覚醒力は就寝の1、2時間前に最も強まることが知られています)。そして一日の終わりに、翌日の活動に備えて、蓄積した肉体と脳の疲れを解消するための睡眠の時が訪れます。こうした睡眠覚醒の周期を司っている体内の複雑なメカニズムを「体内時計」と呼びますが、その中で重要な働きを担うのが体内時計ホルモンとも呼ばれるメラトニンです。メラトニンが脳内で分泌され始めると覚醒力は急速に衰え、睡眠欲求に誘われて私たちは眠りに就くのです。そして質の良い十分な睡眠の結果疲労が解消し、睡眠欲求が減少します。それと共に明け方にかけてメラトニンの分泌が急速に減少することで、私たちは再び目覚めるのです。このように非常に複雑で精巧にできている体内時計ですが、実は意外に狂いやすいことも知られています。この狂いは毎日リセットされているのですが、そのために重要な役割を担っているのが太陽光です。この太陽光を網膜の細胞が感知し、脳に信号を送るとメラトニンの分泌が止まり、そこから15時間ほど経った頃から再び分泌されるようにタイマーがセットされるのです。またメラトニン以外に、睡眠と覚醒の調整に関わるもの一つにセロトニンという脳内物質があります。これはメラトニンとは逆に、太陽光を浴びると分泌が促され、私たちの活動を活性化し、睡眠中は分泌が抑えられます。

さていよいよ本題に話を進めましょう。コロナ禍にある私たちは、外出の自粛を求められています。テレワークやオンライン授業が推奨され、人と人との接触も控えねばなりません。通勤や通学が省略され、限られた自宅空間で一日を過ごすことにより、私たちの運動量は明らかに減っています。これは疲労を減らすとともに睡眠欲求をも減少させます。また巣篭もりによって太陽光を浴びる機会が大幅に減っています。その結果、毎朝行われるはずの体内時計のリセットがされにくくなる、あるいは通勤通学の移動が不要になる分起床時間が遅くなり、リセットされる時間が後ろにずれ込むこともあります。そのためメラトニンやセロトニンの分泌、あるいはその抑制によって調整される覚醒状態と睡眠状態のメリハリが失われやすくなります。床に就いても寝付けない、熟睡できない、何度も目覚める、朝起きてもぼーっとしている、昼間活動しようとしても活力が湧いてこない。こういう状態に、身に覚えのある方は最近少なくないのではないでしょうか。さらに人と人との接触が減るとセロトニンの分泌が減少することが知られています。これはスキンシップなど人と人との親密な触れ合いが減ることで、脳内物質の一つであるオキシトシンの分泌が低下することと関係しています。オキシトシンは人の心に安らぎと幸福感をもたらしますが、その分泌がセロトニンの分泌をも促すからです。イライラを減らし心の安定をもたらすセロトニンと、安らぎや幸福感をもたらすオキシトシンは「幸せホルモン」とも呼ばれていますが、それらの分泌はスキンシップ、さらには楽しい会話などの心と心の触れ合いによって促進されるのです。コロナ禍にある私たちは、こうした身体と心の両方の触れ合いの機会を少なからず奪われています。その結果、ただでさえ感染の恐怖や経済的痛手に脅かされている私たちの中で、幸福感が減り、イライラや不安感が募りやすくなっています。そしてその心理状態が睡眠の質に悪影響を及ぼしている可能性があるのです。

コロナ禍にある私たちの安らかな眠りが、いかに妨げられやすくなっているのか、お分かりいただけたでしょうか。では私たちが安らかな眠りを取り戻し、この難局を乗り切るためにどうすれば良いのか、それはまた別の機会にお話ししましょう。

(カラマツ林の梟)