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心の丸窓(38)時間感覚の不思議

「心の丸窓」は心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。

 

 いよいよ今年も師走となりました。忘年会、クリスマス、仕事納め、大掃除等々と、この1か月間は忙しなく矢のように早く過ぎていきますね。今回は、私たちの時間感覚について書いてみたいと思います。早く過ぎると言えば、愛する人と過ごす幸せな一時も、切ないほどあっと言う間・・・。一方退屈な授業や耳に痛いお説教を聞くのは、やけにゆっくりでじれったいものです。また大事な人を失って悲しみの渦中にある人にとって、時間は永遠に停止してしまったかのように感じられるかもしれません。このように、人間にとって時間の流の体験はそのときどきで変化します。では、私たちの時間の感覚はどのようにして生まれるのでしょうか

 前回のコラムでは、生まれたばかりの赤ん坊の心が、母親の心の働きを介した相互交流によって成長していく過程が述べられました。そこで健康的に良い体験が積み重なれば、赤ん坊は「おっぱいが欲しくても待つ」ことに耐えられるようにもなります。そこに欲求の満足を「待つ」という時間の感覚が生じるのです。ある研究者は、その過程を「時間体験のゆりかご」と呼びました。なんと素敵なネーミングでしょう。

 また、冒頭に述べたように時間感覚の在り方は、そのときどきのその人の心の在り様に左右されます。一般的に時間は、「○○したい」という願望がかなえられる時には「早く」、それが別の「××をしなければ」という心の働きによって妨げられる時には「遅く」感じられると考えられています。また、歳を取るにつれ時間が経つのが早く感じられるようになるのは、加齢によって「願望」が弱まり、結果的に欲求不満状態が緩和されるためだといわれます。そして師走に時間が早く過ぎるのは、この時期「~~しなくては」と忙しい気持ちのほうが、願望を満たしたいという気持ちよりも強くなるからと考えられます。つまり、「○○したいのに、××しなくてはならない」という心の葛藤状態(二つの相いれない気持ちのせめぎあい)は、この時期生じにくいというわけです。さらにうつ病をはじめさまざまな精神疾患においては、時間感覚の病的状態(停止してしまった感じ、バラバラで連続性が感じられないなど)が生じます。まさに「ゆりかごから墓場まで」、人間は生きている限り時間という体験が切り離せない存在です。時間感覚という視点から、人間の心の在り様をとらえてみるのも興味深いのではないでしょうか。

 

(MUSASHI 記)

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