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心の丸窓(35)「喪の仕事」という視点から、とりとめもなく想いめぐらせたこと<前編>

心の丸窓は、心の杜の医師による心の診療に関するコラムです。

 

たまには映画の話でもしてみましょう。主人公の中学生の女の子は、自分が手を尽くして看病した父親を亡くしたばかりです。その女の子は「しっかり者」と周りから思われており、実の父親の葬儀の場面でも、すっかり参ってしまった義母を気づかい、かいがいしく腹違いの弟の世話をしていました。そうこうしていると、義母が喪主の挨拶をすることができないと泣きだし、その役割を放棄しようとします。その女の子なら「できるよ。しっかりしているから・・・」と皆が言い始めます。喪主の挨拶を押しつけられそうになった女の子が戸惑っていると、「それはいけません。これは大人の仕事です」と誰かが断固として主張します。そう言ってくれたのは、その女の子の腹違いの姉で、父親がその昔に捨てて出て行った3姉妹の長姉でした。『海街diary』という映画の冒頭の一場面です。

私は、「しっかり者」としか認めてもらえず「子どもであることを奪われた」その女の子が、「子ども」であるということを初めて誰かに見つけてもらえたこの瞬間にとても心打たれました。長姉は、義母では無くその女の子こそが父親を最期まで世話して看取ってくれたのだということも分かっていました。そして、そのお礼を女の子に伝えます。主人公の女の子は、寄る辺ない「子ども」の心を察してもらい、さらに、あたかも大人であるかのように「しっかり者」としてふるまうしか無かったこれまでの苦悩を理解してもらえた時に、ようやく涙を流して父親の死を悲しむことができました。それは、理解してくれる誰かとの「出会い」であり、自分がこれまで出会えていなかった「子ども」の自分との「出会い」でもありました。その後、その女の子は3姉妹のもとに引き取られ、4人で共同生活をするようになりますが、3姉妹もまた両親に続けて捨てられた過去を持っています。かつて父親に捨てられた時に1度父親を失い、父親の他界によって2度目の喪失を味わうことになった3姉妹と、異母妹である主人公の女の子は、はたしてこの経過の中で何を体験していくのでしょうか? ~心の丸窓(36)に続く~ 

 

(耕雲 記)

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